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便利ということ
科学技術の進歩に伴い、暮らしはどんどん便利になっていきますね。

例えば電話。
待ち合わせ場所に相手が現れなくても、
携帯ですぐに連絡をとることができます。

例えばメール。
電話のように互いの時間を共有しなくても、
電話のかけられない公共の場所などでも、
ちょっとした合間にパッと送って、
相手も合間にパッと読むことができます。

例えばmixi。
学校を卒業してから連絡を取ってなかった人とも、
メッセージのやりとりや日記などを通して、
お互いがどうしてるかも知ることができるし、
意外な再会なんかもありました。



色んなものが便利になればなるほど、生まれてくるこのモヤモヤは何でしょうか。

例えば電話。
24時間365日いつでもどこにいても、
電話一本で捕まってしまうという手軽さを足かせのように感じつつも、
「持ってないと周りに迷惑がかかる」
なんて話も聞きますが、
僕はそこまではいかないにしても、
電車などでふと辺りを見回してみると、
老若男女問わずほとんどの人がケイタイの画面を見つめつつ親指を動かしている姿に、
滑稽だなと思う部分と、空恐ろしいと思う部分が交錯したような、
妙な感情に突き動かされそうになるのです。

例えばメール。
便利になったハズのものが、
「返信不精」の人にとっては新たに時間を割かねばならない作業となり、
余暇時間の使い方がラジオ・テレビからケイタイ・インターネットに移っているにしても、
もともとそういう時間がない人にとっては、
便利になったことそのものが、自身の生活を圧迫するものになってきてはいないでしょうか。
実際人に久々に会うと、「こないだはメール返せなくてゴメンね~」から始まる会話が多いように思います。
「返事がこない」という事自体を重く受け止めすぎて、
あらぬ感情を抱いてしまう人もいるように思いますが、
せっかくの便利なものなので、もっと気軽なとらえ方ができないものか、と思うことがあります。


そもそも電話って実際に相手の声を聞いているわけではないし、
メールにしても単なる記号の羅列をやりとりしてるわけですが、
科学の進歩がどんどん生活の代用物を生み出していくにつれ、
擬似的なものが「当たり前」のものという風に、僕らの感覚も緩やかにシフトしていっているのではないでしょうか。
mixiではついに、「友達である」ということまで
 ネット上で、
 お手軽に、
 擬似的に、
表現してしまいました。
確かに便利なものだと思いますが、
やれ、マイミクの承認を拒否された、だ、
やれ、勘違いされてアクセス拒否された、だ、
やれ、「素通り厳禁」って書いてるのに足あとだけついて書き込みがない、だ、
やれ、いつ見ても「最終ログインは5分以内」、だ、
などなど、なんて言うか、うんざり、です。

かく言う僕も、過去に一度大学の後輩にマイミク承認を拒否されて、
「なんでやねん!」と軽くイラっとした時は、
今考えたらかなりどっぷりハマっていたのですが、
いくらネット上での擬似的なコミュニケーションが発達しても、
結局は実際に友達と会って、酌み交わしながら互いの積もる話をしていれば、
おのずとそういうことは気にならなくなりました。
そういう友達がたった1人でもいれば、マイミクが100人いるよりよっぽど幸せだと思います。

まあそれでも便利なものは便利なものとして活用していかなければならないわけです。
よく考えたらこのブログもそういうモンですが、
単なる「きっかけ」以上に大きくならないように常に気をつけないといけないなあ、と思うのです。

実際に会って喋ってる相手に、
「これブログに書いてた話やで(=読んでないの?)」と言われるのは、
まさに本末転倒ではないでしょうか。


別に何かあったわけでも何でもないんですが、
以前友達と久しぶりに会った時の話を、
書き留めておかねば、と思い、こうして長々と書き連ねてみました。
最後までお付き合いいただいた方がいましたら、どうもご苦労様です。ありがとうございます。
by 北村将吾  by saccy_ba | 2006-04-04 12:18 | monologue
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